遡ること1636年、瀋陽は満州主導の地域国家の首都となりました。何十年にも渡る明王朝との格闘の末に満州は中国全域を手中に収め、1644年に清朝を設立しました。王朝滅亡後、王朝最後の皇帝溥儀は紫禁城を北京に残しました。
瀋陽は中国の東北部に位置する省都であり、新生中国の重工業の中心地となりました。
60,000平方メートルの宮殿は、北京の紫禁城の離宮として紫禁城と同格の扱いを擁し、その優雅さと威厳は満州の過去の栄光を反映しています。
かつて中国東北部を統治し、のちに国民党主導の国家主義的な政府に加わった二人の司令官張作霖とその息子張学良の旧宅で、東北部の現代史のスナップ写真を提供します。
清の皇帝皇太極と彼の妻孝文端皇后の陵墓です。瀋陽の中心部から北にあることから「北陵公園」と呼ばれていますが、正式名称は「昭陵」といいます。どっしりとした古代の木々や緑の草地、魅力的な湖や施釉タイルのきらめき、堂々と建物がそびえ立っています。
2006年に瀋陽で開催された世界園芸博覧会の跡地は、現在様々な植物種と花の展示が行われ、季節ごとに彩を変える公園としてオールシーズン訪問者を歓迎しています。
穏やかな川や湖は豊かな緑を映し出します。夏の蓮華と秋の楓の景色が最高に美しい景勝地です。冬には幻想的で圧巻の美しさを誇る氷祭りが開催されます。
満州事変の発端となった日本では柳条湖事件といわれている「九・一八事変」の博物館です。悲劇を風化させないだけではなく、中国人の鉄壁の意志を示すための博物館でもあり、「九・一八事変」に捧げられています。